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科学研究費基盤研究(S):近代アジアにおける水圏と社会経済 ― データベースと空間解析による新しい地域史の探求

International Workshop 2018

このページではワークショップに参加した学生によるレポートを公開しています。

2月4日 10:30~14:30
  • Reproduction of flood inundation in the Yangzi River basin in 1931
  • Human-Water Interaction and Technological Options in the Development of Lower Yangzi Delta (15th -17th centuries)
  • China’s Yellow River: Managing Scarcity on the North China Plain
「国際ワークショップ The Hydrosphere and Socioeconomics in Modern Asiaに参加して」

大石田真弥

私は、2018年2月3日と4日に行われた国際ワークショップ「近代アジアにおける水圏と社会経済――データベースと空間解析による新しい地域誌の探求――」に大学院生として参加した。全二日の日程にわたって参加したが、特に空間解析班の3報告について、議論の内容とそこから私が学習したことについて以下にまとめることとしたい。

個別報告の内容に入る前に、最初に行われた城山教授のイントロダクションから、今回のワークショップの意義について考察し、そこから得られるであろう知見が私の個人の研究にも関係してくるかということについて考えたい。現今のグローバル化の背景の下で、各国市の単なる総和にとどまらない地域史の分析が要求されている。その中で、アジア地域に注目すると、モンスーンと季節的な降雨の影響下にあり、水系に隣接する地域が多くあるという2点が特徴として指摘できる。このプロジェクトは、社会経済的な活動を水圏やモンスーンといった環境要因の下で分析するということを、目標としている。

私は、民国期中国の貨幣史・金融史を専門に研究している。私の研究関心とこのような分析はどのようなつながりを持つだろうか。いくつかの点が考えられる。まず指摘すべきなのは、金融と農業は密接な関係を有していたということである。18世紀から20世紀前半がこのプロジェクトで特に焦点を当てられている時代である。この時代のアジアのほとんどすべての国が農業国であったと評価できる。したがって、経済活動のかなりの部分が農業に関連しており、農作物取引が集中する時期に金融が逼迫するというのを常としていた。農作物の豊凶は、金融機関にも大きく影響を与えるものであった。モンスーンや水害という観点を抜きにして、金融を分析することはできないのである。

また、水上交通も金融と密接な関連を有していた。この時代のアジアの多くの国では、銀を貨幣制度の基礎としていた。適切な貨幣供給がなされるためには、銀を現送しなければならないということもしばしば生じた。例えば中国では、20世紀に入っても陸上交通が十分整備されていたとは言い難く、また度重なる戦乱によって鉄道や道路が寸断されるということも珍しくなかった。このような状況下において、金融の安定のために水上交通の果たした役割は小さくない。戦闘発生時においても、水上交通で移動が可能な都市では、為替市場が平穏に推移したという実例も確認できる。

このように私の研究関心から見ても、水圏の視点から社会経済史を分析するという手法は、今後さらに発展性を有するものであると考えられる。以下に、個別の報告についてまとめ、そこから得られた知見について考察を試みる。

空間分析班の第1報告は、川崎昭如教授らによる “Reproduction of flood inundation in the Yangzi River basin in 1931”であった。この報告では、工学的方法を用いることによって、様々な歴史的史料と気候モデルとを合わせることで、降雨分布状況を再現するというものであった。このような分析手法は、1931年の長江大水害の被害再現やさらに長期のモンスーンの活動分析にも用いることのできるものである。そしてここから得られた結果は、洪水救済委員会の報告と照らし合わせることで、十分信頼できるものであると確認された。

この報告は、私が研究対象としている時代と重なり合うこともあり、特に重大な知見を含んでいると思われた。1931年の長江・淮河大水害は、流域の農村に大損害を与えたことで知られるが、金融にも重大な影響を及ぼした。農作物の収量減退は、金融活動の収縮を惹起したのである。工学的手法によって水害の範囲や被害の大小を詳しく再現することができれば、どの農作物の品目が大きく被害を受けたのか、どの銀行の支店が大きく被害を受けたのかといった問題を明らかにすることができるようになる可能性が高まる。従来の史料だけでは十分説明できなかったことに、新しく説明を与えることが強く期待されるといえる。

第2報告は、中山大学の谢湜教授による”Human-Water Interaction and Technological Options in the Development of Lower Yangzi Delta (15th -17th centuries)”であった。この報告では、中国の江南デルタをオランダのライン・マースデルタと対比的に論じながら、江南の経済発展を歴史地理学的観点から説明するものであった。江南では、水郷と呼ばれる水路によって結び付けられた町が市場町(鎮)として発展した。また、水上交通に支えられた長距離輸送網が、米や綿花の大規模な輸送を可能にした。

この報告で述べられていた中で、私が特に注目した観点は、江南デルタの開発と銀の流入についてである。大航海時代以降の日本銀や新大陸銀が中国に大量に流入したことで、税のみならず様々なものが銀によって計測されるようになった。銀の流入による貨幣システムの重大な変化が、江南デルタの開発を促したといえる。さらに、河川交通と鎮の発達の関連も重要である。スキナーの研究で知られるように、中国には多くの定期市が存在した。河川交通のネットワークの発達と定期市との関係は、興味深いテーマになりうる。河川交通の結節点には鎮の発達がみられると報告内で触れられていた。多くの市場の存在が、農村経済の在り方に関わっていたことは間違いがないであろう。そして農村経済は金融と密接に関係していた。今後の研究を進めていく上での重要な視点を得たように思われる。

第3報告は、アリゾナ大学のDavid Pietz教授の”China’s Yellow River: Managing Scarcity on the North China Plain”であった。その他の報告とは異なり、黄河の流れる華北平原に焦点を当てるものであった。Pietz教授の議論は、中国の現在の水問題は、歴史的な背景を有するものだと主張した。中国の歴史の連続性と断絶性を水問題の観点から、中華帝国の時代から現代にいたるまでの長い視野をもって論じた。黄河流域は、長江流域とは異なり、水の不足に悩まされることが多い。華北平原は多くの人口を抱え、小麦の生産の多い地域でもあるため、旱魃は食料の不足に直結する。毛沢東期にはソ連式のダムや大衆動員・地下水の利用が進んだ。そして、治水に力点を置く政治家、すなわち毛沢東のことを伝説上の帝王である禹と重ねる言説も生じた。中国の水問題の歴史は、古代から現代の南水北調計画に至るまで、様々な連続性と断絶性によって語られる必要があるということが明らかにされた。

この報告を受けて、私は中国という言葉で指示される地域の複雑さについて考え直さざるを得なかった。金融について考察するときに、その視点は上海などの長江流域の都市に向かいがちである。湿潤気候に属する長江流域では、水系というと滔々と水を湛えたものを思い浮かべる。しかし、それだけが中国なのではなく、黄河流域のように乾燥・半乾燥地帯も中国の重要な一部分である。この報告の中で印象的だった議論が、中国にあるダムの中で何か中国特有の特徴はあるのだろうか、というものである。これは、中国のダム建設がソ連式のものを導入してなされたことを考察する文脈の中で提起された問いである。ただ、実際にはダムは一つ一つ異なるものであるため、何をもって中国的とするかは大変難しいとされた。中国を考察するときに、長江流域や黄河流域がそれぞれ異なる環境に置かれているということについては当然考慮しなければならない。ただ、この研究プロジェクトの目的で触れられていたことと重なるところもあるが、アジア史が各国史の総和でないのと同様に、中国史は華北と華中と華南の歴史の総和ではないはずである。どのようにして自分の研究の議論を組み立てていくべきか再考する良い契機となった。

大学院生としてこのワークショップに参加して、単に報告を聞くだけではなく、会場設営やスムーズな運営の補助を行うことができた。このような研究集会に携われたことは、それだけですでに貴重な経験であったが、直接海外の学者と交流する機会を得たことは大変すばらしいことであった。自分の研究をいかに進展させるかということだけでなく、いかに発信するかということについても考えるきっかけとなった。今後も、積極的にこのような機会に参加することにしたい。

 

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