Data & Archives

水をめぐる人間社会と自然環境との交差から、地域の歴史を描き出そうとするとき、過去の自然に関する情報を収集し、分析可能なデータとして供すること自体が、重要な課題となる。そこでは、新しい資料を探索する、既存の史資料を別の角度から検討する、モデルやシミュレーションを応用してデータの間隙を推定・補完する、といった作業が不可欠である。ここに挙げたEssaysは、そうした研究プロジェクトの中核を成すデータや資料について紹介し、Interviewsは、それらを使った分析についても説明している。

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船舶情報から見る移動の歴史

木越 義則

船舶情報(Shipping Intelligence)とは、船舶の出入港を記録したものであり、19世紀から20世紀半ばにかけて、欧米人の手によって新聞誌上で公表された。19世紀半ばに蒸気船が実用化されると、世界各地の港湾都市は定期船によって結ばれるようになり、海上交通は一般の人々にとって安定的かつ馴染みやすいサービスとして普及していった。この海上交通の大衆化によって、船舶の運航状況は、日常生活を送る上でも必要不可欠な情報になった。例えば、船舶情報を見れば、自分が発送した小包を積載した船が今のどのあたりを移動しているのか、あるいは親族、友人が乗った船が安全に目的地に到着したのかどうか、確認することができた。このように船舶情報は、世界交通の上で蒸気船が全盛の時代に広く発信されたことで、世界各地で発行された新聞に記録が残されている。そして、20世紀後半になると、飛行機の普及により、船が次第に遠距離移動の表舞台から退場するに従い、船舶情報も新聞紙面から消えていった。

船舶情報を最も包括的に収集したのは、海運保険会社のロイズ社である。ロイズ社の船舶情報はロイズ・リストと呼ばれ、欧米の大都市の新聞で公開された。例えば、ロンドンを代表する新聞タイムズでは、紙面の1頁にわたり、ロイズ社が収集した船舶情報を毎日公表し続けた。その記録は、欧米の港湾に限定されず、広くアフリカ、アジア、そしてオセアニアまで対象としている。また、船舶情報は、欧米人が入植した植民地の新聞でも報じられた。むしろ植民地での記録のほうが、本国の紙面よりも詳細であった。例えば、インド、東南アジア、オセアニアの港湾都市では、乗船者の名簿まで公表された。つまり、船舶情報は、本国を離れた欧米人たちにとって、本国との結びつきを確認するための手段でもあった。このように船舶情報は、欧米社会とその延長である植民地の都市で発展したものであり、その用途は、商業的な目的と同時に、遠隔地間の欧米コミュニティを繋ぐ役割も果たした。

船舶情報は歴史研究でも活用されている。例えば、乗船名簿は、歴史上の人物の移動を特定したり、移民として渡ってきた欧米人のルーツを探したりする資料として利用されてきた。カナダ、オーストラリア、そしてニュージーランドでは、船舶情報に掲載された乗船名簿を整理することで、移民のデータベースが構築されている。このほかに、船舶情報は、船舶一隻ごとの出入港の記録を得られるため、地域の流通ルートを解明するのに適している。この点に着目することで、物流の構造やネットワークを分析する研究が21世紀以降見られるようになった。

このような研究を後押したのが、過去の新聞を電子画像としてインターネットで公開する事業である。この事業は、世界各国の公立図書館を拠点に現在進行形で進められている。電子画像化以前は、新聞から体系的に船舶情報を収集することは極めて困難であった。新聞は毎日発行されるものであるし、記事も多様であるため、一つ一つ手で探すことは時間と労力を必要とする作業であった。それが現在では、各地で発行された新聞を網羅的に調査できる条件が整われつつある。この事業を最も精力的に進めているのは、オーストラリアとニュージーランドであり、それぞれの国立図書館のホームページでは、無料で自由に閲覧、検索することができる。また、アジアでは、香港、シンガポールが同様な事業を進めている。もちろん、欧州、米国でも同じ事業が進められているが、そのほとんどが有料であるため、一般での利用には金銭的な制限がある。しかし、オランダのように無料で提供している国もあるため、今後は新聞の歴史資料としての無料公開は世界的に広がることが期待される。

電子画像化が進展すればするほど、船舶情報はいっそう歴史資料としての可能性は広がることは間違いがない。しかし、船舶情報にも歴史資料としてもつ制約がある。この点に留意しつつ研究に利用する必要がある。その最大の制約は、冒頭でも紹介したように、船舶情報は欧米人が欧米人のために作成した資料である、という点である。つまり、欧米人にとって必要性が低かった情報は抜け落ちている。例えば、非欧米圏の在来的な船舶の動きは、全く記録されていない。記録されているのは西洋式の蒸気船、帆船に限られ、例えば、アジア海域で活躍したジャンク、ダウ船は登場しない。また、乗船名簿も姓名が記されているのは欧米人に限られ、現地の人々は一括して何人乗船していたのかが記されているだけである。

このような資料の問題点はあるけれども、アジアの歴史研究でも船舶情報を活用することによって、現地の社会経済には接近できる。例えば、すでに紹介した現地の物流ネットワークの解明に、船舶情報は寄与できる。なぜなら、貿易統計に代表される政府機関が作成した公式統計は、外国貿易については詳細かつ体系的に記録したが、国内の交易については非常に限定的かあるいは全く統計情報を残さなかったからである。というのも、歴史的に残されるのは、税金を徴収するという業務に付随して作成された統計が多いため、課税の対象外は政府の統計的な視野には入りにくい。しかし、船舶情報は、そこに生活した欧米人の日常生活の要請に基づいて作成されたものであるため、西洋式の船舶に限られるけれども、貿易統計には見られない国内物流の動向も記録している。

本科研は、船舶情報を歴史的な経済統計として再現することを目指した。船舶情報は、貿易統計を補完しつつ、貿易統計では見えにくいローカルな次元の交易の姿を描くことができる資料である。このアイディアは、基盤研究(A)「世界貿易の多元性と多様性―「長期の19世紀」アジア域内貿易の動態とその制度的基盤」(代表:城山智子・東京大学、2012-15年度)で培われ、その他に複数の研究事業で整理作業を継承しつつ現在に至る。現在、私たちの船舶情報のデータベースは、1913年を基軸的な年度として、アジア・オセアニア地域を網羅する水準に到達した。1913年は、第一次世界大戦直前であり、英国を中心とする19世紀的な世界経済構造の最後の局面を示している。

データベースの初歩的な整理と分析からも、貿易統計では認知できない世界貿易の構造が検出される。例えば、図1はアジア域内の船舶の出入港の規模を示している。その規模は、船舶移動の総トン数の1年間の合計で表示している。図1にはアジア間貿易を構成する4つの地域、すなわち日本帝国、中国、東南アジア、そして南アジアに分けて示した。円内数値は、同地域内の船舶移動量、そして矢印は地域間のそれを表している。図1を見ると、4つの地域にとって、域内の移動量のほうが域外との移動量よりも大きいことが看取される。貿易統計を利用した場合、円内の数値は、取得できないか、取得できたとしても図1で示したものよりも小さな推計値となる。つまり、船舶統計を利用すると、貿易統計では認知できなかった域内の物流量の規模の大きさを感知できる。

上記の分析結果は、船舶情報を活用した事実発掘の一端である。今後は、地理情報システム(GIS)を活用することで、いっそう現地経済に即した事実発掘ができることが期待される。

Figure 1 Aggregated tonnage of intra-Asian Shipping for the year 1913 (unit: ten thousand gross ton)

Figure 1 Aggregated tonnage of intra-Asian Shipping for the year 1913 (unit: ten thousand gross ton)

Data Source: Our shipping database.
Note 1: This data includes the shipping intelligence of major 15 ports in the Asia-Pacific area (Yokohama, Kobe, Dalian, Shanghai, Hong Kong, Singapore, Manila, Bangkok, Batavia, Bombay, Sydney, Auckland, Wellington, Honolulu, and San Francisco).
Note 2: Figure of the circles are the aggregated tonnage of inner area.

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