科学研究費基盤研究(S):近代アジアにおける水圏と社会経済 ― データベースと空間解析による新しい地域史の探求
モンスーンと季節的降雨という気候と、海や河川からなる水圏という、水をめぐる2つの条件と人間社会が交差する問題群として、①「自然環境・現象」、②「生産・生活」、③「移動・流通」を設定している。また、エルニーニョによる異常気象が想定されている、1876-78年、1918-20年、1931年を、ベンチイヤーとしてプロジェクトメンバー全体で共有している。そうした上で、問題群①と②に関するテーマとして、「自然災害と社会変動」を、①と③に関するテーマとして「水圏間のつながりと仮想水貿易(Virtual Water Trade)」を設定し、3つのプロジェクトを進めている。
図1 『気象月刊』1931年3月号
図2 『気象月刊』収録データの観測地点
図3のグラフに見られるように、中国海関は、河川の水位や流量に関する観測も定期的・継続的に行った(中国海関資料については、Data & Archives: Interviews濱下武志を参照)。
図3 漢口で観測された長江水位の変化(Chinese Maritime Customs, Returns of Trade and Trade Reports 1869.)
Source: Harvard-Yenching Library, https://nrs.harvard.edu/urn-3:FHCL:5164957
本プロジェクトでは、気温・降雨量や水位・水量といった気候・水文に関する入手可能な歴史データと、理工系の研究分野で開発された気象モデルやシミュレーションを含む水文解析を組み合わせることで、過去の水文を再現する研究手法を開発していった。その一つが、氾濫解析の「降雨流出氾濫(RRI)モデル」の応用である。
氾濫解析は降雨分布データ、標高や土地利用などの地形データ、河川断面データなどを入力データとして、河川流域内の降雨―流出―氾濫の過程を計算する技術である。標高データはUSGS(米国地質調査所)の提供するHydroSHEDSを、降雨量のデータはNOAA(米国大気気象観測庁)による過去150年間の2度グリッドの降雨推計と併せて、中国各地の海関などで計測された気象観測データを用いた。水工学分野で開発されてきた解析手法を、1931年長江流域の大氾濫に応用することで、自然災害のインパクトに時系列での変化と空間配置を含む新たな知見を提示することを目指している
例えば、南京大学農業経済学院が1931年10月21日から調査員を現地に派遣して行った、聞き取り調査は、浸水した耕地面積、最大水深の平均、家屋内の最大水深の平均といった洪水の実態や、浸水の影響を受けた家族数、倒壊家屋件数、家族あたり損失額、縣の総損失額などの被害に関する情報を、数値データ化して提示している。これらのうち、夏作農作物の喪失、建物の完全倒壊、冬作農作物の作付け時期(11月30日まで)或いは米の二期作目の収穫期(8月10日まで)浸水が続いた村、のそれぞれの割合から算出した被害指数、及び被災家族数と、7月から9月までの洪水の広がりを重ね合わせることで、「いつ」、「どこが」浸水したのかが、水害とどのように関係しているのかに考察を加えている(Gallery:「1931年長江大洪水と水害-浸水と災害指数」「1931年長江大洪水と水害-浸水と被災家族数」を参照)。
洪水時の死因として、溺死(24パーセント)よりも病死(70パーセント)の方が多かったことも報告されている。洪水という非常時のみならず、水と健康・疾病との関係が、中国海関医療報告の主要な関心事であったことは、水圏での社会生活に考察を加える上で、注目される(Data & Archives: Interviews 濱下武志を参照)。
また、主要な米生産地であった湖南省の各県の被災は、国内の米市場を介して他地域にも影響を及ぼすこととなったことが、各地の米価データから伺われる。(城山 智子)
図5 湖南の米価指数(1931年6月=100)
図6 長江流域の物価指数(1931年6月=100)